愛しいカンケイ
お見送りとお出迎えの境で

【2012.01.01 Sunday
11:00
2011年最後の日がやってきました。

今年は、本当にいろんな出来事がありましたね。
日本は津波、地震、原子力汚染などの災害によって、
むごい傷を今もがんばって癒す日々です。
日本を離れている私にとって、
家族と友人を想う日々が続いたり、
離れていることで、出来ることが限られ、
何だか何をやっても無力な気持ちがしたりもしました。
が、そんなことに負けてはいられませんからね!

マウイ郡庁は、災害にあった日本の方を迎えるために、
非営利団体とともに、渡航費、ホームステイ先の確保
毎日のアクティビティなどを用意し、
日本の方の滞在がビザなしで可能な三ヶ月を限度に
受け入れを現在も続けています。

私は、日本の夏休みであった八月にやってきた
たくさんの子どもたちとは、ハワイ大学マウイ校での
フラのワークショップを通じて楽しい時間を過ごせました。
教える経験の少ない私にとって、娘に手伝ってもらっての
ワークショップは教えることを学ぶ貴重な経験でした。


今年は、たくさん泣いて、強くなった年でした。
うれしい涙も、辛い涙もね。
脚力が鍛えられて、兎みたいに跳ねれるようになったかな。

出会いもあり、別れもありました。

大きな別れは、私たちのハーラウでチャント(詠唱)を
教えてくれていたことのあったアンクル・カレ、
チャールズ・カウプ、
そして、娘の幼なじみで大親友のお父さんであり、
ハワイアンスラックキーギターの名手、
私のお兄さんのような存在であったペケロ・コズマ、
ハーラウのなかでみんなのおじいちゃん的な存在で、
ミュージシャン、マウイ島のラジオ局の名物DJであった、
パパ・ポキ、アレン・ポキパラ、
この三人が、自分の旅立ちの時間を迎え、
この世を去ったこと。

大きな出会いは、これからの人生を共に歩んでくれる
かけがえのないパートナーPTと出会えたこと。

一年の終わりに、2011年を見送りながら、
卯年にどのくらい兎になれたかを確認していると、
間違いなく兎になれたことが発覚!

PTが私につけた愛称はなんと、
「BUNNY(うさぎ)」、
イースターの時期に出会ったため、偶発的についた
この呼び名は、実は彼の子ども時代の愛称でもあるとか。

大晦日の今日、家族と友人とともに、
年越し天ぷらそば&うどんの準備をしながら、
辰年を迎える心構えをしっかり!
来年の目標を娘と二人で書き出してみました。
欲張って掲げたたくさんの目標を読み上げながら、
「要は“龍“らしくいきましょ〜、辰年だからね」
というところに落ち着きました。
虹に願いをこめてね。


忙しい年末年始は大変だけど、
美味しい食事は魅力的、
珍しい仲間も訪ねてきたり……。

空色庵の読者のみなさま、
いつもありがとうございます。

どうか、よい年をお迎えください。
2012年を実のある一年にすることができますよう、
がんばりましょう!

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今、どうしていますか?

【2011.04.13 Wednesday
05:48
みなさま、お元気ですか?

元気ですか? 大丈夫ですか? どうしてますか?
気をつけてね、体を大切にね、無理をしないでね、
言葉にこんなに気持ちがこもったことは
いままであったでしょうか?

きっと、あったのでしょうけれど、
ここ一ヶ月ほど、会う人すべてに、知っている人すべてに、
日本にいるすべての人に
想いを馳せたことはなかったでしょう。

今回の地震や津波などの自然災害により、
お亡くなりになられたみなさまに
心からのご冥福をお祈り申し上げます。
そして、ご家族、ご友人のみなさまの心に
少しでも安らぎが訪れますように、
これから、私ができることを
がんばっていきたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

とても長い一ヶ月でした。

ハワイ島のロケから帰り、
みなさんにこのブログで久しぶりのハワイ島の絶景を
ご紹介しようと思っていた矢先でした。

日本や日本に住む家族や友人との物理的な距離について
マウイ島に住み10年以上たった今、
ある程度の心づもりはあり、それはいつもよい効果を
もたらしてくれていました。

しかし、今回ほど、距離を思い知ったことはありません。

どんなに想ってもそこに距離はあり、
物理的な距離が、心の距離を縮めたり、広げたり、
と、日本にいない私が、日本のために出来ることは何か
を、突き詰められた一ヶ月でした。

何もできない自分が情けなく、泣いてみたりもしましたが、
「自分の時間を、自分が今できないことのために
泣いて使うのは無駄なことなんだ。
自分ができないことはたくさんある。
でも、できることだってあるはずだから、
今、何かできることをするといい。
泣いていることだけは時間の無駄だ」

娘と毎晩夕食のときにお祈りをはじめました。
日本にいる誰か、家族でもお友達でも、
知らない誰かでも、誰かのために祈ること。

電気代は月30ドル代の、明らかに電気使用量の少ない
我が家でもさらに節電、そして節水、
もともと無駄使いをしない暮らしに輪をかけました。

毎週末、ファンドレイジングに参加。

ジュンコ・ママとマルコムの企画した
カレーランチのファンドレイジングパーティ
では、
私も娘もJも、ジュンコ・ママとマルコムと一緒に
セッティングからクッキング、掃除、何でもしました。

友人のジュエリー・デザイナーのまりちゃんも
ジュエリーをファンドレイジング用に作っています

みんな日本の赤十字にお金を集めようと必死。
私もつけてます!



まりちゃん、「私、こんなことしかできないから、
でも、どうしても日本の人にがんばってほしいの」
と、話してくれました。
こんなことじゃないよ、すごいよ、です。



マウイ島のあちらこちらで、
日本を応援する活動があります。
今週末はマウイ・アート&カルチュラル・センターで、
マウイ島のミュージシャンでお父さんが日系人の
ナプア・マクアさん、ケアリイ・レイシャルさんなどを中心に
チャリティ・コンサート「ALOHA IAPANA」を行われます。



私もこれからできること、
いま、いろいろ計画中です。

朝、娘といつも朝の会話をしながら、学校へ。

お日さまは偉いねえ、毎日ちゃんと東からあがって、
西に沈むね、それが一日ってすごいね、
一日がちゃんとはじまって、終わることに感謝だね、
だって毎日って大事だよ。

みなさん、一緒にがんばりましょう!

author : jingujiai
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初めよければ!

【2011.01.11 Tuesday
13:17
空色庵で迎える一月!

世界的な観光地であるハワイ、
「ハワイでお正月」は特に珍しい言葉ではないでしょう。
では、実際住んでいる私のお正月はどんな感じか。

大掃除をし、新年のお飾りをピシッと!の
私にとっていつまでも慣れないのは、
クリスマスから新年という「ホリデー」の飾りと
認識されているクリスマスの飾りが、
島中にそのままななこと。

移民の多い島のよいところで、
西欧文化にあたるクリスマスの飾りも、
チャイニーズ・ニューイヤーの爆竹も、
日本のお雑煮に入れる品々も、
みんなで楽しもう〜のモードが満載。

というわけで、クリスマスで盛り上がったあと、
大晦日には町中が煙に覆われるまで爆竹を鳴らし、
お正月にはお雑煮を食べる、というわけです。

ハワイでお正月用の料理のために特別に売られるのは、
まず「水菜」、これはお雑煮用です。
あとは里芋、牛蒡、大根、人参、蓮根などが
お正月用コーナーに並びます。
NISHIMEといえば地元の人の好物なので、
これらはお煮染めになったり、お雑煮に具にも。

さて、我が家は、お雑煮が大好き!
餅つきをしたり、おせち料理を作る年もありますが、
今年は餅つきをする時間もなく大掃除に励んだのと、
料理のプロに、おせち料理を食べに来てねと
ステキなお誘いをいただいていたのを理由に、
お雑煮と豆を煮たのみでした……。

ですので、お雑煮にはさらなる愛情をこめて!



出汁昆布と、まあるい大根と人参、
味のある、角のとれたヒトになれますように!



マウイ島の地鶏はこんがり焼いてからね。
定番の「水菜」、今年は売りきれ前に手に入れました。



当然、餅は丸餅!
つきたてを買いました。

お雑煮は美味い〜。
家族で食べたあとは、フラファミリーの家に鍋を運び、
う〜ん、お雑煮の時間。

と、その後は、当然ビーチ!
クリスマスプレゼントにもらったばかりの水着に着替えて、
海へ、海へ、海へ。

う〜ん、初めよければ、終わりよしな気分。

何がともあれ、幸せな正月を迎えられたことに感謝です。



海に行くときは特に素早い娘はスクーターで……。



お雑煮がまだお腹にいっぱいの私の横で、
砂のアートができあがっていきます。
海ってやっぱりいいね。

兎になる準備をしなくちゃね、
とビーチでまどろみながら、今年の目標の確認。

愛する人たちをたくさん愛すること
書きたいことをしっかり書くこと
いただいた踊りを丁寧に踊ること

を中心にですね、

兎の後ろ足にあるような筋肉をつけて、
瞬発力、脚力のあるオンナでいるぞ、

と誓いました。

がんばります!

日本のように三が日、松の内、と
じっくりお正月がないので、
子どもたちの学校は週明けから。
私の仕事初めも同様。



なので、お正月の週末の後半は、
宿題をしなくてはいけなかったり!

と、やはり、年のはじめは忙しなくはじまるのです。

私の年始の仕事はなんとゴルフ・トーナメントの取材。
ゴルフ、昔は嫌々練習したものですが、
最近、いろいろな影響で、
ゴルフが身近になってきましてですね、
このトーナメントのお仕事、楽しくさせていただきました。
(これは次回ご報告)

ほ〜ら、初めよければ、終わりよしな気分が続きます。

そして、今年のはじまりになんともうれしいのは、
ハワイ州は全島、買い物の際にお店で購入した品物を入れる
プラスティックの袋が禁止になったことです。
(紙の袋は使用されています)

はい、みなさま、買い物バッグ、持参しましょうね!
ハワイ土産に、買い物バッグ、おすすめです。



また、私のフラ・シスターのみさちゃんから、
こんな可愛いクリスマスプレゼントをもらいました。
みさちゃんのお友達が作っている「エコ・たわし」
洗剤なしで食器洗いができます〜



そして、初めよければ、ということで、
お正月の気分を最高に盛り上げてくれたのは、
おせち料理〜。



私が毎晩踊っていたカアナパリビーチホテルの厨房で
今もがんばっている友人のてるちゃんの家で!
(当ホテルで働く日本人は三人だったのでしっかり団結、
てるちゃんが料理上手なので、いまは私が金魚のふん)

よい「初め」です。



娘とハレアカラで初日の出、拝んできました。

私たちが愛するすべて人々の、よき初めを願って!

みなさま、今年も空色庵を
どうぞよろしくお願いいたします。






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ゆく年、くる年@マウイ島

【2011.01.01 Saturday
10:50
 2010年最後の日になりました。

今年のはじめに友達から、
彼女が禅寺で聞いた干支の話を思いだします。

「丑(うし)年は失(うし)なわれる年、
寅(とら)年は捕(とら)える年」
干支にある動物のように一年は過ぎていくものという観念。

丑年に大きなものを失った私は、
この干支の話に真実味を覚えたものです。

とらえる年、

何を、どのように?



「虎が獲物を捕らえるとき、
彼らはすぐに飛びかかりません。
獲物をじっくりと決め、観察し、準備をし、
獲物との距離をじわじわとつめていきます。
最後の瞬間、虎は勇ましく飛びかかり、
獲物を逃がすことはないでしょう」

虎になる年は、私にとって、失ったものを見つめ、知り尽くし、
同時に自分にあるものを感謝することからはじまりました。

そして、自分を試し、挑み、
獲物とのなる存在や観念と向かい合う……。



寅年の終わりに、

私が虎になったか、という問いに、
私は、確かになったと、答えることができます。

虎になった私は、傷もつきましたが、
獲物を得るためのしなやかさも身につきました。

獲物は、丑年の私よりも大きな私、
自分よりも大きな獲物をくわえた虎は、
傷だらけの隆々たる手足をつかい、悠然と歩きはじめます。

卯年に向かって。



獲物をくわえたままなのか、獲物を食べて身にするのか、
兎のように走る術を求めて、あと数時間後にめぐりくる新しい年を、
待っている私です。

空色庵にいらした皆様に、
新しい一年が、愛する人々に囲まれた、
恵みのある年でありますように、
心からお祈り申し上げます。


大掃除の終わりに、お手伝いの応用か?
子虎たちは大騒ぎ!

author : jingujiai
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Happy Holidays on Xmas Islands

【2010.12.16 Thursday
06:12
年の瀬、師走……、
日本語ほど情景を豊かに写し出す言葉はないなぁ〜
と感動している場合ではありません。

みなさま、いかがお過ごしですか?


フラ・オ・ナー・ケイキで使ったレイが、
クリスマス・オーナメントに!


マウイ島で感じる年の瀬といえば、
アラスカに行っていた鯨たちが、
出産のために戻ってきて、海は賑わいをみせ、
と南国情緒豊かにいきたいところですが。

母でもあるわたくし、
10月の終わりに巨大かぼちゃをくりぬき、
無理難題をいう娘のハロウィーン衣装を作り、
11月のサンクス・ギビングの祝日に家族、友人が
顔を合わせた直後にはクリスマスツリーの飾り付け、
クリスマスギフトのラッピング、カードの手配、
次々にやってくるクリスマスパーティーの知らせ、
お食事持ち寄りのパーティーのための料理、

はい、12月に入ったいま、もう息が絶え絶えです。


部屋のなかを少しずつクリスマス風にね、少しづつ

今年のクリスマス、ホリデーシーズンは昨年よりも
40%以上の観光客の到来が予想されるとかで、
経済的にうれしいニュースに反応したお店は
10月からクリスマスモード全開!
「ママ〜、うちはいつクリスマスのやつ飾る?」
と笑顔の娘のステキなプレッシャーを感じる日々。


マウイ島の高原で採れるイチゴもこの時期が一番美味

鯨見たさに道路の真ん中で車を止める観光客のみなさまや、
孫可愛さに一年ぶりの運転でホリデーショッピングに
くり出すおじいちゃんとおばあちゃんの運転する車をよけ、
日本同様に取り締まり強化となる警察車両に気を配り……。

ホリデー、いらん、 
早くすぎるか、もう来ないかにしてくれ。

と心のなかで叫ぶ私に、笑顔を取り戻してくれるのは、
クリスマス・ソングなんですよ〜!

フラ・ダンサーもミュージシャンも、
10月の終わり頃から、少しずつ復習をはじめ、
Happy Holidayな気分を盛り上げていくんです。

クリスマスキャロルの代表のようなものから、
ハワイアン・クリスマスソングまで、パフォーマンスをしますが、
娘のお気に入りは『White Christmas』、
雪への憧れをいっぱい浮かべて踊ってくれます。


我が家の小さなクリスマスツリーとクリスマスカレンダー

家族が集まるホリデーシーズンが大好きだった
私たちのクム・フラ、アンティ・ケアラは
たくさんのクリスマスソングを教えてくれましたから、
この時期、できる限り踊って、
私たちも楽しみ、お客様にも楽んでいただいています。

また、踊る曲ではないのですが、
私がこの忙しい時期に心を和まされる曲、
どんな状況でもついつい笑ってしまうのがこの曲。

有名なクリスマスキャロル『The twelve days of Chiristmas』
ハワイ・バージョン、つまり替え歌です。
ハワイらしさというか、地元の人たちの楽しむクリスマス感たっぷり。

クリスマスの12日を一日づつ数え、
一日ごとにクリスマスの贈り物を受け取っていくのが歌のコンセプト。
本物の歌では、キジバトや白鳥、乳搾りの娘や金の指輪など、
ヨーロッパの16世紀に作られたクリスマスキャロルならではの
風情ですが、ハワイ・バージョンでは……。

クリスマスの一日目におばあちゃんがくれたのは、
とはじまり、パパイアの木にいる一羽のマイナーバード、
(ハワイの木々にあきれるほどたくさん住んでいる鳥)
二つのココナッツの実、三つのサキイカ(おつまみですね〜)、
四つの花のレイ、五匹の太った豚(ハワイアンフードの定番素材!)、
フラの練習を六回、七匹の元気に跳ねるエビ、ウクレレが八つ、
9ポンドのポイ(ハワイの人々のソウルフード、タロイモを蒸して
水と合えたもの)、ビール缶が10缶、11人の宣教師、
テレビが12台!!!で終わります。

この曲をハワイなまりの英語で歌うので、
クリスマスキャロルが、陽気なハワイアンソングに早変わり。



今日は、クリスマスイブ、
観光シーズン真っ盛りのマウイ島で、
私たちフラ・ファミリーは、クリスマスイブのディナーを作りながら、
ショウのステージへ。キッチンとステージを行ったり来たりの週末です。

世界中からの観光客の集まるハワイ、
移民文化の豊かなハワイ、
宗教や民族という概念とは別の空気が
クリスマス・アイランドにはあるようです。

Happy Xmas Day !!
author : jingujiai
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続けることの魅力

【2010.11.25 Thursday
06:05
 日、月、年の巡り、
どれも大切なものではありますけれど、
年の巡りほど目に見えやすいものはありません。

はい、去年も同じころに書かせていただいた、
Hula O Na Keiki、マウイ島で行われる
子どものためのソロ部門のフラの競技会、
無事に今年も終了いたしました。

去年、レポート形式に書かせていただいたので、
今年はさらっと、年の巡りの確認程度ですが、
私はなんともうれしいのです。
というのも、空色庵で一年を確認できたのですから!


アウアナ(現代のフラ)の出番を待つ間に!
今年はハワイの青空をテーマにした衣装


わかりやすいのは大人の成長ではなく、
子どもの成長、ということで、
去年の写真とくらべてみてくださいね。

今年もハルノちゃん、がんばりました。
ハワイ語を流暢に話すハワイの子どもたちに囲まれて、
オリ(詠唱)部門で一位と一点差の二位!
大健闘でした。

去年の経験をいかす、という点では、
私たち大人も、子どもたちも最高得点だったと思います。

娘のアイナも、また応援にひとふんばり、
応援しているのに、私に説教されることもありましたが、
物事なんでも経験、経験、
彼女のまわりにある物事を全部積極的に受け入れて
ぐんぐん成長していってほしいもの。
そうあってくれれば、ママの私もなぜか男泣きです。


アイナとフラシスターで親友、そしてクム・フラとなったカウイの娘たち
去年は現在9ヶ月のベイビーはいませんでした!

今回、この競技会は20周年でした。

20年とは、この競技会で
ミス&ミスター・フラ・オ・ナー・ケイキとなった子どもたちが
クム・フラとなってハーラウを率い、
またこの競技会に参加するということがかなうわけです。

昨年、じっくり書かせていただいたので、
読者のみなさま、きっと、
競技会って、ただ出場するだけではなくって、
何十人もの人の手によって、
一年ほどの月日をかけて仕上げるプロジェクトであることは
なんとなく感じていただいていると思います。



このパラパライとリコ・レフアのレイも、
私たちのクム・フラであったアンティ・ケアラの生徒であり、
現在はハワイ島のクム・フラ、アンティ・ラニの力作。

クム・フラ、ダンサー、ホオ・パア(詠唱を行う人)、
ミュージシャン、レイの作り手、衣装の作り手、
楽器の作り手、ハーラウのダンサーたち、家族、友人、
競技会に参加するための様々なことをサポートする人々の手作業。

これが、本当に煌めくようなものなんですね。

私は今年、またホオ・パアをさせていただきましたが、
去年の経験を生かすどころか、
去年の経験はどこにいったんだと疑問がわくほど、
新しい経験、学びの連続でした。


私とクム・フラのカウイとジュンコママ

日本にいるジュンコ・ママとのチャンティング(詠唱)は
一人よりも二人の強さを突き詰めるよい体験。

アンティ・ケアラが、私たちにいつも教えたのは、
「一人で踊れる、一人で謡えるように強くなりなさい。
そして、それと同じだけ、
チームの一人として強さを発揮しなさい。
この違う二つのことができる人になれるように努力しなさい」

今回、それが少しはできるようになったかな、と
思っています。(まだまだだけど!)
まずは自分を褒めてからはじめないとね!

私はこれからハワイ島とオアフ島に出張です。
戻ってきたら、師走ですよ〜。

空色庵での年越しの準備していきたいと思ってます。

最後に今回の記念写真をパチリ!



左から、カポノ(今回、私のイプヘケの緊急修理を
快く引き受けてくれました。有名なチャンターなんですよ。
ミュージックを担当した私たちのフラシスター、カウイの従姉妹でもある
カノエのだんなさま)、キモ(ミュージシャン、カウイのだんなさま)、
カノエ(チャンター、ダンサー、ミュージシャン)、ハルノ、アイナ、私、
ジュンコ・ママ、カウイ、レア(カウイのお兄さん、ミュージシャンでダンサー)、
メル(レアのおくさま、ダンサー)、ちびっこはレアとメルの息子のノア
もっともっとたくさんの人が関わりましたが、
まずはご報告までに!







author : jingujiai
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A HULA DRAMA "KAHEKILI" in JAPAN !!

【2010.10.20 Wednesday
15:50
 港、空港、駅、
人々の想いが重なり合う場所、
私はそれがとても好きで、時々、とても嫌いです。

今朝、マウイ島カフルイ空港から、
一年かけて関わったプロジェクトチームを
無事に送り出しました。

A HULA DRAMA「KAHEKILI(カヘキリ)」、
この舞台を、この想いを、マウイ島から
日本の皆さんにお届けすることができることに
感謝の気持ちでいっぱいです。



みなさま、22日、23日に東京JCBホールで公演、
 A HULA DRAMA「KAHEKILI」、
是非、足を運んでくださいね!

日本は近年、ハワイアン・エンターテイメントが大人気、
フラやハワイアン・ミュージックの流行と相まって、
様々なイベントが日本各地で頻繁に行われています。

ただ、ほとんどが、ミュージック・コンサートや
フラのパフォーマンスであったりするなか、
この「KAHEKILI」はフラ・ドラマというスタイルで、
フラやチャント(詠唱)などを取り入れながら、
「物語」を展開するところが見どころです。



どんな物語か、少しお話をしますね。

「KAHEKILI(カヘキリ)」とは、
マウイ島の王家に生まれ、1765年に実兄の跡を継ぎ、
マウイヌイアカマと呼ばれるマウイ島、ラナイ島、
モロカイ島、カホオラヴェ島を支配、
1793年に亡くなるまでの間にオアフ島をも制圧して、
後のハワイ王国建国の礎を作ったと言われる人物。

カヘキリとはハワイ語で「雷」、
名のごとく、存在を轟かせた偉大な王さま、
その姿は身長二メートル、体重百五十キロ、
半身が影と見まがうかのような
刺青に覆われていたことでも知られています。

私の住むワイルクは彼が居を構えていたため、
戦いの場ともなり、憩いの場ともなり、
そして神さまを崇める社もあった場所。

今回のプロジェクトに関わるなかで一番面白かったのは、
地元の歴史を知ることができたことでしょう。



「KAHEKILI」を日本へ、
初公演を観たときから思っていました。

好き嫌いのはっきりしている私にとって、
フラが好きだからフラのパフォーマンスを観る、
ハワイアン・ミュージックが好きだからコンサートに行く、
ということはなく、このフラを観たい、
この音楽を聞きたい、が主流。

そんななか、数年前にアンティ・ケアラの親友の、
アンティ・ホークーこと、ホークーラニ・ホルトさんが
総監督をつとめた舞台を観に行ってみよう、

カヘキリは昔のマウイの王さまだし、と軽い気持ちで
観に行ったのがこの舞台でした。  
 
一瞬にして、吹き飛びましたね。

目隠しをされたまま、
嵐のなかに放り出されたような気がしました。

五年ほど前ですから、私のハワイ語もまだまだ、
歴史の知識も少なく、古典的な踊りの様式、
また伝統的な儀式や武術の数々、生活習慣など、
舞台の上には私の知らない世界が広がり続け、
食い入るようにそれを眺めていたのを覚えています。



その私が、「KAHEKILI」を日本へ送り出すお手伝いが
できたのですから、時間と運命はすごいものです。

アンティ・ホークーは、
私の師であり、母でもあった
アンティ・ケアラが亡くなったあと、本当に力強く、
私たちを支えてくれました。

今回、その恩返しの一つになればよいとはじめた
「KAHEKILI」日本ツアーのプロジェクトは、
結果的に実行に一年間かかりました。

しかし、時間は私たちに様々な学ぶ機会をくれたのです。

まず、私は今回はじめて
劇場字幕を担当させてもらいました!
また、「KAHEKILI」を実際に観たことのある私にと、
新聞や雑誌に劇評を書くお仕事も
たくさんさせていただきました。

劇評を書くという作業は、
私にとって少し特別でした。

というのも、私が出版、執筆などの仕事に興味をもったのは、
大学時代に尊敬していたイギリス演劇が専門の教授に、
俳優座で行われた劇の劇評を書くチャンスをもらったことが
きっかけだったからです。

そのとき書いた劇評は今から考えると
経験不足で稚拙なものだったのでしょうが、
私を信頼してくださった教授が原稿の出来に満足、
それがうれしくて、「書いた」という記憶が
いつまでも残っているというわけです。

誰でも初めてのときというものがあるんですよね。

今回、この「KAHEKILI」がみなさんの初めてになれば、
と心から思います。

「フラのことも、ハワイの歴史も知らない、そんなお客様が、
ああ観て良かったといってくださる舞台を作りたい」
アンティ・ホークーはそう言っていました。

それが芸術なんだろうな、と
私はそれを聞いて思わず頷いたものです。

そして先週末、最終舞台リハーサルに行った私は、
それを再確認しました。



どこかで聞き覚えのある、厳しい指示を飛ばしながら、
アンティ・ホークーが作品のエッジを磨いていきます。



舞台には、ケアリイ・レイシャルをはじめとする、
日本でも大人気のミュージシャンやクム・フラ、
ポリネシア最大のフラの競技会メリーモナークで優勝した
ダンサーたちの顔が並びます。



彼らは、アンティ・ホークーのもとに、
マウイ島でハワイの文化を学び、継承する一人のダンサーとして、
群舞のなかで踊るのです。

その姿は、学び続けることの意味深さを、
何よりも訴えかけてきました。

「カヘキリというマウイ島の王たる人物が
ハワイの歴史として、いつまでも人々に愛されるように」
との願いのもとに作り出された作品であることはもちろんですが、
私はそこにマウイ島の人々の強い意思を感じます。

マウイ島には悠久の神聖なる王たち、王家の人々がいる、
彼らの存在を歴史の荒波が打ち消そうとも、
私たちは自分たちの祖を忘れはしないと。

その誇りを、その熱き想いをこの舞台に,

Eo Kahekilinuiahumanu !

カヘキリヌイアフマヌに栄光あれ、と。


--------------------

「KAHEKILI」の舞台のことは、
こちらのウェブサイトに詳しく紹介していますので、
興味のある方は、読んでみてください。
author : jingujiai
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「ただいま、帰りました」

【2010.10.07 Thursday
15:49
 大変ご無沙汰しておりました。

空色庵の庵主でありながら、主は何処へ、
数ヶ月のお暇をいただいてしまいました。
みなさま、ごめんなさい。
そしてありがとうございます。

マウイ島にもようやくやってきた秋の気配。
ハワイの人々がマカヒキと呼ぶ、平和と豊穣の季節、
いままでの戦いや労働を休み、動から静へ、
エネルギーの質の転換期ですね。


 マウイ島ホオキパの波も秋の気配です。

やっと、私も空色庵に戻ってこられました。
今日は、いままでの無精のお詫びの気持ちをこめて、
私の居間の掃除をさせてもらい、
庵を取り仕切ってくれている空色庵の住人の部屋に
ご無沙汰の挨拶にと思っています。

私の数ヶ月の成果とは、一言でいうと、
「また初めからやってみよう」の実現でした。

四、五年ほど前からあった違和感に、去年の夏以降、
私なりに取り組み、今年の春から一歩、一歩。
初めからやってみることは、何でも大変です、
歩いたことのない道ですからね。

道を歩く勇気をくれたのは、家族と友人、
 有り難さが心に染みます。


椰子の木の木陰に集まれば…… @Lahaina in Maui

十代、二十代の私だったら、違和感の数秒後には、    
すでに「初めから」に向かっていたのですが、
三十代の私は、違和感に対して長期戦でした。

必然、Things happen for reasons

長期戦も最高でした。


私より私を知ってるときのある長い付き合いの仲間たち in Oahu


さて、「初めから」のはじまりですが、
いまやっと基礎の基礎ができてきた感じです。

その間、家族や友人たちとの絆を
改めて確認するよい機会に恵まれました。

心の距離は物理的な距離を超えるということや、
私のしでかすことを叱咤激励しながら
丸ごと受け止めてくれる関係。

どんなときも、どんな私も愛してくれる
家族と友人のためにも私らしく生きていこうと思ったこと。 
 
愛しいカンケイ、ですね。


ハレアカラの山頂でBeautiful Life祈願


親友の愛息子と恋人の誓い? 私みたいなのに、将来ひっかかるなよ〜

春から夏へと時が巡り、
家族の絆が引き締まった夏の終わりの九月、
(私の家族の意味合いは広いのですが……)
「初めから」の基礎の基礎工事が一段落したのは、
間違いなく愛しい友人たちのおかげでした。

彼らとの付き合いはかれこれ十五年、
変わっても、変わっても、変わっても変わらない部分で
付き合っていくことのできる友人たちです。

食べて、飲んで、喋って、笑って、泣いて、

海で泳いでいても、
山を歩いていても、
空を見上げていても、

都会の喧噪、人混みのなかでも、
美味しい料理とお酒を目の前に大騒ぎしても、
いいオトコ、いいオンナの当世事情があっても、

手を伸ばせばすぐ横にいる友人たちは、
ほかにはない、誰のものでもない、私の宝物です。


あたしたち、今何歳だっけ? @Ulupalakua in Maui

空色庵も、長く、長く、やっていければと思っています。

時間をかけて、変わらない部分を育てて、
いえいえ、ともに成長していければと思うのです。

母になって十年になりました。

自分の親としての年齢が、
目の前の子どもを通じて確認できるのは、面白いです。

それはまるで、書き手がふと、自分の昔の原稿のなかに、
いまと変わらない部分を見つけたときのように、
踊り手が、学びはじめたばかり踊り手たちのなかに、
昔の自分の姿を見たときのように。
目に見えない時間を目に見ることのできる、
そんなことのように思います。

時間をかけて、自分が成長していくなかで、
私の今の目標は、
「自分の後ろ姿を見せられるか?」です。

後ろ姿の美学でしょうかね、ふふふ。

ある日、娘とこんな会話がありました。

「大きくなったら、ママみたいになれるかなぁ」
「どういうこと?」

「ママみたいにきれいで、ママみたいに何でもできて、
ママみたいにママをして、ママみたいに……」

「……、あのさ、ママはそんなに何もできないでしょ、
まあ、一生懸命にやるけどさ、失敗して泣いたりさ、
悩み事をアイナに相談したりさ、
大概は大変だぁって大騒ぎしてるじゃん」

「そうだけど、アイナはママみたいになりたい。
なれるか心配だなぁ。
だってアイナはまだ車の運転もできないし、
アイナのお腹はママみたいに平らじゃないし、
おっぱいだって大きくなるのかなぁ」

「……、あのね、時間がたてばそうなるの。
それにさ、アイナはママなんかかなわないほどの
もっともっと素敵な人になると思うよ。
だってママは、アイナがママより素敵になるように
がんばっているんだもん」

娘はそこでポロリと涙をこぼしました。

そして、こう言いました。
「アイナはママみたいになりたいの。
ママより素敵にならなくていいの。
ただ、本当に、ママみたいになりたいだけなの」

私はその時点でもう目の前が何も見えないほどの涙で、
車の運転なんて危なくてできない状態、
車を止めて、涙をふいて、娘を抱きしめました。

「なるよ、なるよ、ママみたいになるよ」


たくさん食べて大きくなぁれ! @Hanalei in Kau'ai

子どもに言えないことをしない、だけが、
長い間、私の母としての決まり事だったのですが、
娘が成長すれば、母も成長しなくてはなりません。

やってやろうじゃないか、ということで、
その日から、後ろ姿の美学への追求がはじまりました。

そうやって、人は変化していきます。
新しい挑戦があり、「初めから」があり、
それによってつく傷を、固くて丈夫な皮膚にして、
太陽に灼けた砂浜を、ゴツゴツと荒い岩の広原を、
一歩一歩歩いていくのかもしれません。

空色庵は、そんな毎日を癒す場所であり、
そんな旅から帰ってきた日に
「ただいま」をいう場所でありたいと思っています。

「ただいま、帰りました」と。
author : jingujiai
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言葉ってスゴイモノ

【2010.04.24 Saturday
07:20

 言葉ってスゴイモノだって気がついたのは
いったい、いつのことでしょう。

覚えているのは、小学校の五年生のとき、
言葉を使って伝えることの面白さにドキドキしたことくらい。

でも、正直、何にドキドキしたのかは定かではなく、
もしかすると、
美術館にある彫刻のように美人なのに、
恐ろしいほど神経質で、
生徒の前で笑顔をみせるのは数えるほどの担任の先生が、
私の書いた四百字ぽっちの母の日の作文に白い歯を見せ、
笑顔で誉めてくれたのがうれしかっただけなのかも。


ともあれ、薔薇のような笑みを浮かべる彫刻に、
わぁっ、きれい!と目を見張ったのと、
「すごくよく書けてる、先生はとても好き、
もっといろんなことを書いたらいいわ」と言ってくれたのを、
ドキドキしながら、ぼぉっと聞いていたのです。



以降、書くことは大好きな私、
生意気盛りの十代のころは、「書くことだけが言葉なんて!」と、
踊ってみたり、歌ってみたり、
思いつくことは何でもやってみました。

本当に何でもが、荒削りな言葉だったように思います。

そして、月日が流れ、
いまも十分に生意気に違いないワタクシは、
子育てとは、自分を見る作業だとひしひしと感じ、
日々痛い目にあっています。

いえいえ、学びをありがたく受け取り、成果として、
自分はあの五年生のときと大して変わらない
という事実に愕然としつつ、
子どもの成長はもとより、
自分の成長に一喜一憂しているわけです。

そんな親ですから、娘にとっての、
「言葉はスゴイモノなんだという発見」
を見逃したくはありません。

言葉は私たち自身。

私たちが、その想いを、魂の存在を伝えるために、
そしてそれらが呼応するために、
言葉があるのだと思っています。

言葉は時に、言語そのものへ、人間の肉体へ、
動へ、静へ、
目で見え、耳で聞こえ、
肌で感じ、舌で味わい、沸き立つ匂いへ
とカタチを変え、肉体の生と死にかかわらず、
伝え続けられていくもの。

抽象的に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、
ちょっと具体的に、言葉のカタチとして、
もっともわかりやすいかもしれないカタチ、
「言語」を例にとってみましょうね。

みなさんにとって一番身近な言語は日本語でしょう。
私も同じです。

普段の生活のなかで、日本語、英語、ハワイ語を使いますが、
もっとも愛しているのはもちろん母語の日本語。
言葉を自分により近いカタチであらわすためには、
母語であっても、学び続けるべきだと思っています。

地球上にはいろいろな種類の言語があります。
それを考えると、第二、第三と、
できるだけ多くの言語に携わることで、
私たちの言葉は伝わりやすくなり、呼応されやすくもなり、
そこに芽生えるものも増えるに違いありません。

となれば、がんばるぞ、と、
英語とハワイ語に取り組むなか、
不思議なことに、英語はいつまでたっても道具的存在。
くらべて、ハワイ語は少しずつ
愛しき言葉のカタチになってきています。

なぜなのでしょうか。

それは、言語の源である文化への親しみの度合いが
原因のような気がしてなりません。

先日、数日間に渡って、毎日午後3時半から4時半まで、
ハワイ州の教育委員会のオフィスの前で、
私たちはラリーを行いました。



プーナナ・レオ・オ・マウイとクラ・カイアプニ
教師、生徒、父兄、卒業生、関係者などが続々と集まった
この抗議運動は話題になり、新聞、テレビなどに報道され、
抗議をうけた教育委員会が、いま議題を検討中です。

ハワイ州の各島にあるクラ・カイアプニは、
公立の学校に付随し、その運営システムを共用しながら、
OHA(Office of Hawaiian Affairs)という
ハワイ人の人々のための活動を行う事務局や、
クラ・カイアプニの父兄によって運営される
非営利団体ナー・レオ・カーコウとともに、
ハワイ語で子どもたちを教育する機関。

今回の出来事は、クラ・カイアプニが付随している
公立のパーイア小学校が、クラ・カイアプニに入学を希望する
35人の生徒を学校経営や教育委員会の諸事情で、
検討することなく、20人までしか受け入れようとせず、
さらに20人を選ぶために抽選をおこなおうとしたことに
対する厳重な抗議でした。



小さな数字に思う方もいるかもしれませんが、
私たちにとっては大きな数字。

教育委員会のあるワイルクの町の交差点は、人だかり、
ラリーを応援する人の車が一斉にならすクラクションは
ラリーを行った一時間、途切れることはなく、
子どもたちの声、歌、パフ(ドラム)でならす音とともに
町中に響き渡ったのです。





ハワイ語が衰退した大きな原因はいくつかあります。

ひとつは、1778年のジェームズ・クック船長の来航で、
ハワイが西欧文化に発見されたこと。

外来者によってもたらされたのは、先住民の人口、
1778年の推定30万人から、1892年の4万人への激減。
伝染病の猛威、外来者によって1848年に成立された
土地分配法によって経済的基盤を失ったことが主でしょうが、
文化を大きく乱されたことで多くのハワイの人々が
心理的に衰え、家族の絆が引き裂かれたことは
言うまでもありません。

ふたつめは、近代化を急ぎすぎたこと。

これはハワイに限らず、その時代の多くの国で起きた出来事で、
国家を統一することを重視しすぎたために、
有力民族語の教育に意識が行き届いていなかった
という事実です。

みっつめは、1893年にハワイ王国はクーデターによって転覆、
米国によって併合されたという歴史でしょう。

転覆後、ハワイ共和国となったハワイでは、
共和国政府を統率するサンフォード・ドールによって、
1896年に英語が公用語となり、
その後、ハワイ語を教育言語とする学校は全て閉鎖。

ハワイ語を校内で話すものには、
体罰があったという記録もあるほどで、
結果、1983年ごろの調査では
18歳以下でハワイ語が話せる子どもは
約30人程度となってしまっていたのです。

しかし、1970年代にハワイ文化復興運動がはじまり、
その数年後にハワイ語は英語とともに州の公用語へ。
1980年代にはハワイ語で子どもを教育するプログラムが発足し、
プーナナ・レオ、クラ・カイアプニという学校が創立されました。

現在、毎年州内で1500人規模の卒業生を輩出しています。
卒業するには、入学しなくてはならないのですから、
小学校入学への規制は断固防がなくてはなりません。



母語の大切さ、言語の源である文化の重要性は、
日本人である私には、十二分に理解できます。
正しいと思うことをする、何が正しいかを教える、
それが母の務めですからね。

言葉をカタチにするときの、もっとも身近な存在である言語。
そして、言語はただの音声でも、表記でもなく、
源からほとぼしるものであることを、伝えたいと思うのです。



限りある私が、限りある状態しか伝えることのできない
日本語への愛を、
ハワイ語という言語をじっくり学ぶことによって、いつの日か、
「言葉ってスゴイモノじゃない!」って気がついてくれたら、
母はうれしいのであります。

I ka ‘olelo no ke ola, i ka ‘olelo no ka make.

言葉に命を!
命を吹き込まなくては、失ってしまうから!

author : jingujiai
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森へ、森へ、太陽の家のある森へ

【2010.03.30 Tuesday
06:30

太陽の家のある森のなかへ、足を進めていくと……

と聞くと、やわらかいソファに体を沈めて、
布製の背表紙のついた本の、古い紙の匂いのする一ページ目を
読みはじめたような気分になりませんか?

ちょっとみなさまにご無沙汰してしまったワタクシ、
つもる話は山のようにあるのですが、
まずおすそ分けしたいのは、太陽の家のある森の物語。


太陽の家のある森は水を湛えた豊かな森

さて、雲をつかむような話ではあります、
ええ、本当に雲をつかめるほどの高さなのですよ、そこは。

マウイ島のハレアカラー、
ハワイ語では、Hale a ka la(ハレ・ア・カ・ラー)、
ハレとは家、ラーとは太陽、ということで、「太陽の家」。

ハレアカラーはマウイ島の最高峰、Pu'u 'ula'ula(プウ・ウラウラ)
「赤い丘」と呼ばれる頂は10023ft、つまり3055mの標高。
雲を上から見下ろす高さです。

132の島々からなるハワイ諸島のなかの主要8島といえば、
上からカウアイ、ニイハウ、オアフ、モロカイ、ラナイ、
カホオラヴェ、マウイ、ハワイ(ビッグアイランド)をさすようですが、
この順番は実は、島の年齢を上から読みあげたもの。

余談ですけれど、モロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェは
地図をみるととても近いのがわかると思いますが、
以前は大きなひとつの島だったことから、
この島々をまとめてマウイ・ヌイ(大きなマウイ)と呼び、
現在のマウイ郡としてひとつのまとまりです。

マウイ島は、いまだに火山活動の激しいハワイ島の次に若い島、
1790年の最後の噴火以降、火山活動は認められず
休火山となり、現在に至っています。

島の名前に唯一、古代の神さまの名前がついているマウイ島、
マーウイという半神の伝説は、
太陽の家ととても深い結びつきがあるのです。

数限りなくあるマーウイの伝説のなかで、
ハレアカラーが登場するのは、マーウイのお母さんの
ヒナ・ア・ケアヒがカパという布を作るときに、
乾かすための時間が足りないから、
ハレアカラーに住むマーウイのおばあちゃんであるマフイエに、
太陽が早く沈まないようにするにはどうしたらいいのかを
相談に行く場面。

マフイエはマーウイに特別な手斧(ちょうな)と縄を渡し、
彼女の家の近くの古いヴィリヴィリの木の根元に隠れ、
噴火口の一番東に太陽が現れたら、縄を投げて
太陽の足を捕まえるように言い渡すのです。

マーウイはおばあちゃんの言った通りにしたので、
太陽に縄をひっかけることができました。
太陽は逃げまどって、海に戻ろうともしましたが、
マーウイは自分が隠れていたヴィリヴィリの木に
縄の反対がわをしっかりと結びつけてしまいます。

そして暴れる太陽と手斧で戦ったのです。
手斧で痛めつけられた太陽の足は弱くなり、
とうとう太陽はマーウイの言うことを聞くことになりました。

ちょっと太陽の足の怪我が心配にはなりますが、
この戦いがなければ、いまのように太陽がしっかりと大地を
照らさなかったのですから、マーウイと太陽に感謝し、
太陽の住む家を居心地のよいものに
しておかないといけないですよね。

その太陽の住む家のある森は、現在国立公園となり、
固有の自然がかなりしっかりと守られています。
私が今回入らせていただいた森も、
国立公園のパーク・レンジャーの同行がなくては
決して入ることのできないエリアなのです。


森のなかは、海のなかに似ています

どうして、私が入ったのかというと、
マウイ・フォレスト・バード・リカバリー・プロジェクトの一環。
固有の植物、動物を育てて森を守ろうという活動です。

ハワイは1778年のイギリス人ジェームズ・クックの来航までは、
人の出入り、物流はカヌーのみで行われていたため、
固有の自然体系や人間を含む動物の生態系が乱れることは
ほとんどなかったのです。

しかし、太平洋の真ん中にあるハワイは、
太平洋を渡って何かをしたい人間たちにとって
好都合な場所にありすぎました。

1778年以降、あらん限りの出来事が起こり、
人と物が行き来するようになり、現在にいたっているのです。
それはまるでバランスを失った天秤のように。

天秤が揺れれば押さえる手が必要、
その手は一本でも多いほうがいい。

そして今回、標高の高い場所にも関わらず、
私たちは子どもたちをつれて入ることにしました。

普段は河口を掃除し、木を植える活動にのみに参加する
クラ・カイアプニの子どもたちに、
太陽の家のある森に暮らす鳥たちを見せてあげたかったのです。

森に入る私たちはまず、衣類や靴をすべてブラシではたきます。
  
森の入り口にたち、全員が輪になって祈り、
森に入ることをお願いするためのチャント(詞)を唱えました。

風と鳥の鳴き声を合図に、森へ。


固有植物の木を植えて強い森に!

約150の固有の鳥類を保護し、
森を守る国立公園のパーク・レンジャーとともに、
プロジェクトが行った植林の成果を確認に向かいます。

この森は人間が持ち込んだ家畜、特に山羊の被害と、
外来種の植物がもたらす害を受けて、
一度はもう植物が育たないかのように思われていました。

しかし、国立公園と、国立公園以前の地主であった
ハレアカラ牧場の努力によって、保護区域を囲むフェンスが
10年もかけて張り巡らされ、家畜の害を防ぐことに成功しました。

そして、その後ハワイ州の森林保護部門やハワイ大学、
そして私たちのような民間団体のもと、
植物、鳥類、昆虫類などをリサーチし、保護し、
手をかけ、森が蘇るのを助けているのです。

特に鳥類は人によって運ばれてきた蚊の被害をうけ、
絶滅品種も数多く、いまも細心の注意がはらわれています。

「I'iwiが鳴いた!」

まるで花のように美しい赤い鳥、I'iwi(イイヴィ)は、
さえずりが、「イイヴィ、イイヴィ」と聞こえるため、
子どもたちはすぐに反応します。

「静かにしていないと、姿が見られないのよ」
「……、……」
「イイヴィ、イイヴィ」
「あ!!」
「しぃーーーっ!」


赤いレフアの花にたたずむI'iwi
(C) JackJeffreyphoto.com

森のなかで静かに佇めば、鳥たちは木々を渡ります。
目を凝らせば、'Akohekohe(アコヘコヘ)も。


スタイリッシュ!?なヘアスタイルですよね
(C) Eric Narashima


アコヘコヘのくちばしの上のふんわりとした羽毛は
蜜を吸うときに花から花へと花粉を運ぶ役目があるとか、
まる蝶や蜂のようですよね。

余談ですが、ハワイの文化のなかで、
鳥は男性を、花は女性を象徴することが多いのです。
ですから、このように花の蜜を吸う鳥が多いことに
うなずいてしまいます。

子どもたちは標高2000メートル以上の高さの山中を
本当によく歩きました。



森のなかを歩きながら、私が想いつづけたのは、
南アに住む、私の姉的存在の友人、
吉村峰子さんの夫、稔さんのことでした。

4月13日、稔さんは亡くなりました。

私を含む、稔さんを知る人々はみな、
彼のことを絶対に死なない人間だ
と思っていたに違いありません。

JICAに勤務し、長年のアフリカ勤務のなかで、
どんな危険な任務も全うし、たくさんの人間の命を守り、
自分も必ず戻ってきた稔さんは、
私が知っている日本人のなかで一番強い人でした。

そんな稔さんに、峰子さんは、
「もうっ、稔は!」とお説教が日常茶飯事。

でも、私からみると、こんなにそっくりな夫婦はいない、
と思えるほどの二人でした。
そして、二人の子どもたち、
息子も、娘も、両親を鏡に映したような存在。

娘のショウコちゃんは、自分もつらいであろう、
お父さんの事故確認の直後、私にすぐ連絡をくれました。

「お父さんは愛ちゃんが本当に好きだったのよ。
だって、お母さんはどんなときだって、
愛ちゃんと話をするとHappyになったから。
お母さんを幸せにしてくれる愛ちゃんに
お父さんはとても感謝していたの」

私は泣きに泣きました。
しかも大声で。

森は私の心中をしっていたかのように、
絞りきった布切れのようになった私の心を
霧雨のような恵みの水でぬらし、洗っていきます。


樹齢1500歳のオヒアの木、
溶岩台地に一番はじめに生える、パイオニア・ツリー


すべての生きとし生けるものが眩いほどの命を見せる、
山や海のなかで、私はいつも目を瞑ります。

すると私の体はまるでアウトラインをなくしたかのように
それらと溶け合っていくのです。

自然の大好きだった稔さんは、
きっとこうやって自分の魂をいつも確認していたんだろうな。

神さまに愛されすぎた、類まれな魂は、
きっと次の任務をまっとうするために、
神さまの瞬きを合図に飛び立っていったのかもしれない。

そう思った途端、胸の痛みは引いていきました。

準備をしなくてはいけない、
姉をHappyにするために。
妹はいつだって、姉を幸せにする、
姉妹は助け合うのが当たり前なのだから。

森をでると、椰子の実がゴロリ。
「稔さんからの差し入れかも」とつぶやく私の横で、
娘は飲みたい、食べたい、で大騒ぎ。



また森にお世話になってしましました。

どうもありがとうの気持ちをこめて、
毎日ひとつ、森への恩返しを
私たちの行動で見せていくこと。

それが我が家の日課です。
 

author : jingujiai
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神宮寺 愛
writer / coordinator translator
(Japanese - Hawaiian)
hula dancer